余市町でおこったこんな話 その12「ニッカの中島倉庫」

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昭和20年代のある日、肩に猟銃を担いだ髭の紳士が余市の町外れを歩いていました。後ろには子どもが数人、まるで隊列の様にその後をついて歩いています。子ども達は紳士の放った銃から落ちる薬きょうが目当てでした。「よくぶっ放していたもんなぁ竹鶴さんは。」隊列に加わっていた当時の少年からこんな思い出話を聞きました。
紳士の名は竹鶴政孝氏、昭和9(1934)年、自らが思い描く本当のウイスキーを作ろうと余市に大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー株式会社)北海道工場を創立したその人でした。
会社創立時の敷地面積は現在の10分の1ほどで、敷地内には余市川が蛇行した跡に残された水路や中島がありました。創立当初の工場建物は敷地の東側に13棟がかたまって建てられ、工場と壜詰工場、ふたつの倉庫、研究室、事務所、林檎送場などがありました。林檎送場は社名が表わすとおりリンゴジュース製造からスタートした大日本果汁の施設のひとつでした。
蒸溜工場が完成した昭和11年から、ウイスキーづくりが始まりました。竹鶴氏は出来あがったばかりの原酒の貯蔵に火災の恐れのない場所をと考え、敷地の南西側の中島に「中島倉庫」を建設します。中島倉庫は、現在1号貯蔵庫と呼ばれる木骨石造の倉庫(図の右端)で、ガイド案内による見学の行程に組み込まれています。
いまでは1号貯蔵庫の周囲は陸地化されていますが、かつての中島の名残は田川橋から国道5号線へ抜ける裏道に沿う、通称「ニッカ沼」に見ることができます。
工場の敷地は段々と拡大し、工場施設も次第に増えてゆきますが、竹鶴氏自身の著書に書かれるように、創業当初は「赤字会社」と呼ばれるなど苦難を乗り越えての成長でした。
創立から70年を越えた平成17(2005)年2月28日、創立時から昭和10年代中ごろまでに建てられた統一感のある建物群が、ふるさとの歴史的な景観を残しているという価値を認められて、国の有形文化財登録を受けました。緑あふれる公園のような工場通路を歩くとわかるように、各建物の趣きは統一したものであることがわかります。
操業中の工場施設が守るべき文化財として認められた点も特筆すべきことです。今回の文化財登録の対象となった建物は正門と左右に翼を広げたように連なる事務所棟、大きな三角屋根が並んだふたつの乾燥棟、蒸溜工場、現在はリタハウスと呼ばれる研究室、山田町から移築復元された竹鶴邸、1号貯蔵庫などの9棟です。
今でもここに年間数十万人もの多くの人々が訪れるのは、単にウイスキー工場の見学や無料の試飲に惹きつけられるからではなく、竹鶴さんが具現化させたウイスキー造りの理想郷の魅力なのでしょう。
トウキビ畑の中に作られた野球場にキャッチボールをするために人々が集まってくる映画「フィールド・オブ・ドリームス」が重なります。

写真:中島倉庫(ニッカ50周年記念『うすけぼ』特別号より)

写真:中島倉庫(ニッカ50周年記念『うすけぼ』特別号より)

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