その160 漁夫の契約

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大正から昭和のはじめ、12月になると翌年のニシン漁で働く漁夫の契約が始まりました。募集のために親方が東北地方へでかけたり、以前から働いてもらっている現地の船頭さんに契約を頼む方法などがとられました。親方がおもむく場合、山形県鶴岡市の善宝寺へ大漁祈願のお参りに行くこともありました。
ニシンの漁獲量が安定していた積丹半島以北の定置網漁を営む漁家で比較的多かったのが、給料額をあらかじめ契約によって決定する方法でした。余市町でニシン漁を営んだ川内家の記録を見ると、12月下旬に契約金額のおよそ9割以上を前金としてもらい、3月から5月上旬まで働いて、その間に使った手袋や薬、タバコ代などを差し引いて精算し、漁模様がよければ手当金が追加でもらえることもありました。
契約制の漁夫雇用はまとまった人数を確保する上で有効でしたが、資金を確保できなければならない募集方法でもありました。明治10年代、漁獲量が少なかった場合に約束した給料が払われなかった漁場があったのがきっかけで、前金制の契約がはじめられたようですが、雇われた漁夫も前金を手にして逃亡する者が出るなど、社会問題となった時期もありました(『北海道の生業2』)。
大正14(1925)年、余市町中村漁場が秋田県山本郡内(現在の能代市とその周辺)の漁夫29人と契約しました。その時の旅行の記録がのこっています。
出発前に必要となる書類の手数料や郵便代金、余市までの交通費や食費が秋田に送金されたのが2月25日、漁夫らが手荷物を携えて、それぞれの母村から馬車または徒歩で能代町(現在の能代市)に集合したのは2月末のことでした。その日は能代で1泊、翌日能代駅から汽車に乗り青森に着いてもう1泊、津軽海峡は連絡船でわたり、函館から函館本線で余市町へ到着しました。途中の大舘(秋田県)、青森、函館、黒松内、倶知安で弁当とお茶が出されました。数日かかる旅の途中での無事を伝えるために青森、函館、森からは電報を打っています。
東北各県から津軽海峡を越えて北海道へ向かう漁夫は、多い時期には10万人とも言われ、鉄道や船に乗って更に北へ向かいました。しかし、その大半は鉄道を利用するため、函館駅の混雑は相当なものでした。このため一般乗降客とのトラブルを避ける目的で稚内までの専用の臨時列車が増便されました。
昭和20年代はじめ、臨時列車が用意された時のことです。漁夫たちは縁起をかついで仏滅には出立せず、不漁になる行いを避けましたが、国鉄(当時)からすると誰も乗っていない、がらがらの列車を走らせる大迷惑行為で幽霊列車と呼んでいました。幽霊列車が走った翌日の臨時列車は、前日に乗る予定だった漁夫たちも乗り込んで大混雑し、あふれた漁夫が一般の列車に乗って問題を起こしたりもしたそうです(『まぼろしの鰊漁』)。

イラスト:漁場を歩く漁夫「にしん場レビュウ」北海タイムス(昭和4年4月13日)

イラスト:漁場を歩く漁夫「にしん場レビュウ」北海タイムス(昭和4年4月13日)

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