余市町でおこったこんな話「その171 会津藩師団の御受書と士族籍復帰」

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戊辰戦争の一局面である会津戦争は、明治元(1868)年9月、会津藩の降伏によって終結します。新政府は謹慎中の藩士らの処遇を兵部省に委ね、翌2年9月、品川沖から出帆した汽船コユール号に乗った北海道移住を決めた第一陣の藩士ら103戸がオタルナイに到着します。
オタルナイ滞在中の談話がのこっています。
「家具、寝具及び一人一日付玄米一升を給せられたが、これのみでは生活が出来ない。折しも札幌の開拓が始まって、諸物資を小樽から運ぶので、自分は酒を札幌に運んで賃銭を得ることにした。土方になるもの、日雇になるもの、其の外種々の業についたが、何れも慣れぬ仕事のため大変難儀した。」
苦しい日々が続きましたが、熊の見物やもちつき、飲酒、湯屋(銭湯)を楽しんだこともありました。
会津団体の入植予定地は札幌、石狩の当別、樺太と転々としますが、同3年12月、北海道開拓使によって「余市移住七百余名帰農手続概略」が作成され、ひとまず余市行きが決定されました。会津藩士らは「帰農人」とよばれ、移住初年には、米1,890石(1人一日あたり玄米7合5勺)、金1万4,000両(5軒長屋の家を建築する。その数140戸)、金4,200両(塩菜料)、金3,000両(農具料、種子代)、金7,700両(家具代価)が予定されました。
翌4年正月、会津藩士団から開拓使小樽仮役所の開拓使監事大山壮太郎へ、開拓の決意を込めた「御受書」が提出されます。そこには「朝敵」の汚名をそそぐ固い決意が表され、「天恩に報いて規則に従い、仕事に励み、もしも怠ればきつく戒めていただきたい」という意味の言葉が記され、宗川熊四郎茂友以下227名の名がそこにありました。
御受書は昭和63年11月、余市町の指定文化財に指定されます。余市水産博物館に展示されているものは、開拓使に提出されたものの副本と言われ、「今般請願セザル者」と墨書きされた和紙の付箋が何人かの名前の下に付されています。武士の身分だった彼らが、余市移住後には平民として扱われた期間が長かったようで、明治20年代に士族籍への復帰を「請願」したものとしなかった者を区別する付箋だったようです。
旧藩士らの願いは無事叶い、士族籍復帰を祝う席が設けられました。「祝辞」と書かれた巻紙の断片には、それまでの経過が喜びとともにしたためられています。
お祝いの席が設けられたのは明治26年9月17日、士族籍復帰の運動を担ったのは「族籍訂正願委員一同」でした。
前半部分が欠落していますが、「明治維新を経て士気はだんだんと衰えると思われる。旧会津藩諸士の籍はこの地(余市)に移った時から誤って平民に編入されてしまい、すでに20余年が経過した。先祖が武士であったことを後に続く子孫が忘れてしまうことを恐れる。この年の5月上旬に現在の籍の訂正を道庁に出願したところ、この9月8日に公明なる係官より裁可を得ることが出来たので、「本月本日」をもってその発表式典を挙行することとする。以後はますます士気を養成し、北門(北海道)を守る意気は盛んであり、本日の席において祖先の家名を失墜させないようにすることを述べる。」といったことが書かれています。
会津団体は御受書に誓ったとおり開拓に励み、リンゴをはじめとする余市町の果樹栽培の礎を築きました。

写真:御受書

写真:御受書

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