余市町でおこったこんな話「その181 駅前の埋立新道」

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余市川流域の平野には水田や果樹園などが広く分布し、市街地も広がっています。かつては河口近くで大きく蛇行し、中島や三日月湖が複雑な地形をつくり湿地帯も多く、車馬の通行には不向きでした。このため余市町西部から駅までの鮮魚等の輸送は海岸寄りの大川橋方面へ向かい、現在のにれの木通りへ大きく迂回して駅へ向かわなければなりませんでした。また明治4(1871)年に入植した会津団体等をはじめとする農業移民の人たちは、土地が肥沃な余市川沿いにその入植地を求めましたが、春先の融雪や大雨による川の氾濫に悩まされていました。
駅から余市橋までのこの湿地帯を埋め立てて陸地化すれば、住宅地や商業地として有望だと考えた地元の資産家、但馬八十次さんは猪俣安造さんらと協力して、余市川を埋め立てるための余市川河身改修埋立工事組合を設立します。工事は大正9(1920)年に開始され、関東大震災影響による1年の中断がありましたが、同14年に終了しました。工事途中、同組合は住宅建設や簡易水道敷設などの事業を行う目的をもった余市興業社へと組織変更をして商業地や宅地の開発を目指しました。工事対象面積は3万7千坪、費用は当初40万円の予定で、昭和時代に作成された町史編纂用の資料(未完)によれば、埋立用の土砂はモイレ山とモイレ台の間の通称「切り通し」から運ばれ、大正13年ころは土砂を運ぶために船を利用し、作業にあたった土工夫は赤ふんどし一本で働いていたそうです。
工事費はかさんで結局60万円を超えることとなり、その後の土地販売も軌道に乗らず、加えてニシンの不漁が続いたことが出資の大半を担った猪俣家の経営不振をまねき、会社は解散を余儀なくされました。同社の負債を整理するための三安合資会社が設立され、同家が所有していた大農場も手離すことになりました。
地元に長く住まわれた方の記憶によれば、「(埋立前は)とても人の住める所とは思えなかった」ほどの湿地帯で、「三吉神社の所から駅までは相当土盛りしなければ、湿地で線路を敷くことはできなかった」そうです。猪俣家は余市川河身改修埋立工事組合、余市興業社に関わって駅前を陸地化しますが、この一大事業と併行するように、余市電鉄を設立します。車両や線路など一切を受け継いだ余市臨港軌道株式会社は昭和7(1932)年に設立され、翌8年5月10日に運行が開始されましたが(「こんな話」その4)、販売不振だった埋め立て地の利便性をこの電鉄によって高め、起死回生の一発逆転を狙ったのでしょうか。
猪俣家は余市を離れますが、余市駅から余市川までの700メートル弱の道路は埋立新道とよばれ、余市駅前一帯は鉄道、私鉄、自動車、船舶の要衝となり、商店や回漕店、問屋街が形成され市街地化に拍車がかかりました。

写真は余市興業社による埋立地付近  『余市案内』昭和2年

写真:余市興業社による埋立地付近  『余市案内』昭和2年

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