余市町でおこったこんな話「その192「大谷地貝塚の土偶」」

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前号で紹介した河野常吉さんは、余市町の東部にある国指定史跡大谷地貝塚にも訪れています。

大正14(1925)年10月、「余市町大字黒川村の東部、畚部村に近き処に位置し、余市蘭島間道路及鉄道線より南方約数町、円山の麓、里道より西方に延長せる砂丘にあり。…此砂丘は一面遺物散布地なれども、其内貝塚は、山麓遺跡を去る約十間の処より、長二十五間、幅平均五間の処とす。…貝殻層の厚は一定しないが、最も厚い所は二尺以上ある。…貝塚貝殻中には、獣骨、鳥骨、魚骨も混じている。又、貝塚の内外に石鏃、石斧其他石器屑散布し、土器片亦多くして、厚手も薄手も相応にあり。又、赤色を塗りたる土器片あり。…寺田貞次氏の「余市附近の土地と古代住民」大正八年三月発行北海道人類学雑誌に「附近農家の談によれば人骨の発見さるることあり。其頭骨は吾人の頭骨に比し偉大なりと。此等は貝塚研究上注意すべき点なれば、更に調査報告の機至らんことを希望し居れり」と記せり。」(「余市町の先史時代遺跡 大正十四年十月記」『河野常吉ノート』考古編1)

約45m×9m、厚さが約60cmの大規模な貝塚に動物骨や魚骨、石鏃、石斧や土器が入り混じり、様々な土器片や人骨も見られた遺跡だったことがわかります。

河野さんが訪れた3カ月前には、京都帝国大学(当時)の清野謙次さんらによる発掘調査が行われ、貝層のなかから人骨を発見、仰向けで手足を折り曲げた格好で埋葬された人骨だったようです。

清野謙次さんは、明治28(1895)年に岡山県の病院の長男として生まれ、医学博士として京都大学の微生物学講座の教授として活躍する傍ら、考古学に興味を持ち、国内各地の遺跡をめぐって人類学的な見地からの調査を進めました。大谷地貝塚の調査は、札幌で開催されていた大日本病理学会のために北海道を訪れた際に行われたものでした。

清野さんは、貝塚が遺跡東側に厚く存在し、西側には住居があったことを報告、その際に、大きな土偶を発見しています。いわゆる遮光器土偶と呼ばれているもので、体長はおよそ20cm、肩幅は約16cm、厚さは約6cmと土偶としては大型のものでした。出土した際は脚と左腕が欠けていましたが、復元されて現在は関西方面の大学に保存されています。遮光器は極北地方に住む人々が使っていた、冬季のまぶしさを防ぐために細い切れ目をいれた眼鏡のことで、遮光器土偶は、青森県つがる市木造の亀ヶ岡出土の国宝が有名です。

清野さんの報告では、サイズのほか、一部が欠けた「大土偶」であること、薄手で縄文が施され、「製作優秀」、「中空」であること、頭にはデザイン化された髷(まげ)がつけられて、4つの穴があることが指摘されています。余市町内ではこのほかに、フゴッペ貝塚、登町5遺跡、登川左岸遺跡、栄町7遺跡などから人の形をした土偶が見つかっていますが、大谷地貝塚のこの土偶が町内では最大のものです。

写真:大谷地貝塚出土の土偶

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