余市町でおこったこんな話「その208 沢町」

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沢町は国内に7か所あります(日本郵政の住所・郵便番号検索)。道内では余市町と室蘭市、本州では石川県と福井県(3か所)、島根県です。余市に「沢町」ができたのは江戸時代のことで、安政2(1855)年に幕府から派遣された足軽、桐谷太兵衛によってヌッチ川筋が切り開かれて以降と伝わります。幕末にかけて急速に人口が増えたようで、安政3年時には1丁目から4丁目までに永住を許された33軒の家族がいました。明治になって更に市街地化が進み、明治5(1872)年頃には富沢町もできました。
沢町はヌッチ川沿いに海から内陸に向かって丁目の数が増えていきますが、西側の富沢町、港町と結ぶ道路はカーブしてつながり、格子状になっていません。ヌッチ川沿いの街路がすでにできていて、明治時代になって、現在の余市神社方面から道を真っすぐに延ばして格子状に街並みが整備されたからです。格子状に街並みができたのは、ヌッチ川や梅川の下流にあたる広い地域の湿地は、大規模な埋立てや治水工事が行われたからでした。
奥寺家文書には道路敷設の計画と当時の湿地の様子がつぎのように書かれています。
「当時、只今の県社(神社)大鳥居の下方に六、七寸角(1寸は約3.03cm)の杭が弐本立っていました。是より沢町、琴平神社まで直線に町を開切する(目印の)杭だと云っておりました。当時雪解頃になれば小児連中磯舟に帆を掛けて舟遊びする沼の様になる所故、真実に受けること出来ざるような次第でした」
舟が帆走できる沼地のような状態だった湿地帯の埋立工事の中心人物は、中道代吉さんという地元の実力者でした。中道さんは幕末に山形県から北海道へわたり、明治元年に余市へ来住、沢町に居をかまえてニシンの刺網漁をするようになりました。その頃、今の富沢町にあたる一帯は雑草が生い茂り、沼地と泥地が多く手つかずの状態でしたが、中道さんらが中心となって、梅川の切替工事が行われ、河口の位置が変わります。低い土地の埋立工事がされた結果、約13万3千坪(1坪は約3.3平方メートル)もの利用可能な土地ができました。この大規模工事が終わったのは明治13年頃のことで、ここに富沢町、中町、梅川町、琴平町(円山付近)の町名がつけられました。
明治時代、道内各地の市街地は火事が多く、道路幅を広くして街区を隔てる火防線を設けた計画が開拓使によって進められました。明治10年前後に石狩や根室、浦河でこの方法が試され、明治11年に大火のあった函館でも復興事業として、広い火防線を確保した道路が作られました。
中道さんらが主導した富沢町や中町などの市街地の整備事業は開拓使の計画によったものと思われますが、これと並行して神社や寺院の再配置事業も並行して進められました。余市神社の参道と、並行する南側の道路は規則正しく並び、等間隔の広い道は火事の延焼を防ごうとするものでした。参道の北側(海側)に格子状の道路が整備できなかったのは、ニシン漁がまだまだ活況だったからでしょうか。
開拓使による市街地設計は札幌の市街地で最初に着手され、続いて道内の各都市の整備も進みましたが、明治10年代での余市の整備計画は道内でもかなり早い時期のものでした。

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図:「(北海道)余市町澤町 山碓 富澤 仲町ノ全景(絵はがき、部分)」

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