余市町でおこったこんな話「その216 切り通し」

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国道229号線を古平町へ向かい、役場や警察署の前を通ると両側が切り立った道を通って、海が見えてきます。ここは通称、切り通しと呼ばれるところで、明治30年代以降の幾度かの工事を経て今のかたちになりました(こんな話その128「モイレ山と切り通し」)。
写真は雪の残る工事現場です。斜面を切り崩し、発生した土砂を馬そりで運んでいます。道の向こうが浜中町方面ならば、切り通しの掘り下げ工事の写真でしょうか。
昭和のはじめに余市駅と水産試験場を鉄路で結んだ軌道会社、余市臨港軌道が通る前後の切り通しをめぐる回想がのこっています(余市町でおこったこんな話 その4「臨港軌道鉄道」)。
「(切り通しは)高くて勾配がきつく、超えるのがたいへんだった。明治生まれの人達は、昔ははってこの坂をのぼったと表現している。何回か切り下げたようだが、それでもまだきつく、そのため大ていの人は茂入を通っていたし、昔は町役場は、現在の海水浴場のある茂入の坂の下にあった。
軌道を敷設する頃の坂は、大部よくなったものの、まだ軌道を敷けるような坂ではなかった。浜中町の方から(大川方面へ)ゆくと、坂の上り口が今より半分くらい山に近く、その上、坂ののぼりきった高さが、今より十メートルくらい高かったろうか(『ひびけ』創刊号)。」
切り通しは明治34(1901)年6月にはじめて開通しましたが、道は急傾斜で車馬の通行には依然としてたいへんでした(明治33年説もあります)。
大正4(1915)年には北海道庁の工事によって改修を行うことになりました。町はこの工事によって削られた土砂を余市川と合流する登川河口付近の埋め立てに使用できないかと考えました。
同年6月9日の町会(議会)で、時の町長御厨三郎さんは次のように提案説明をしています。
「埋立てに先立って、切り通しの道路について申し上げますと、毎年崩れる両側の崖の石垣を約1.8mほど積む工事が道庁で予定されていますが、これに替えて、崩れやすい斜面を削る工事を行い、そこから出る土砂を埋立てに使ってはどうかと道庁に伺って同意を得たところです。
総工事費1,000円(当時)から、切り通しの道路部分に費やす費用を780円とし、延長140m、切下げ高は深いところで約3.5m、道路の傾斜を約3.6度から約2度までゆるくし、両方の崖を削って生じる土砂約1,800平方メートルを埋立て用土砂とすることができれば、たいへん喜ばしいことと思われます(該当部分を意訳『余市町史草稿第2分冊』)。
無事、工事は開始され、削られた土砂は余市川と登川河口の合流付近の埋立て土砂として利用し、一石二鳥の願いは叶ったようです。
大正12年には2度目の改修(明治34年開通から数えると3回目)が行われました。今回の発生土砂を余市川中島の埋立てにあてようと考えた吉田卓町長(当時)は、同年6月の町会で、北海道へ2万円(当時)を寄付することにより、余市川中島の埋立てに切り下げ土砂をあてるよう設計してもらいたいという提案をしました。
余市川を埋め立てるために設立された余市川河身改修埋立工事組合により、大正9年に開始された工事は同14年に終了しました(こんな話その181「駅前の埋立新道」)。同組合による工事と歩調をあわせる形で切り通しの工事が行われたのかもしれません。
切り通しの工事か(時期不明)

写真:切り通しの工事か(時期不明)

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〒046-8546 北海道余市郡余市町朝日町26番地
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