余市でおこったこんな話「その221 フゴッペのトンネル」

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余市町栄町と小樽市蘭島の境界のフゴッペ岬には、短いトンネルがあります。岬の下にトンネルができたのは明治14(1881)年のことでした。

トンネルができる前は岬から連なる丘陵を上り下りして通っていましたが、岩山で悪路だったため、余市で勤務していた開拓使の役人の吉田弘さんによって、工事が計画されました。

明治6年12月に提出された上申書には「ここは往来にとても苦労する険しいところで、春秋に雨が続くと、旅人、郵便や荷物を運ぶ人馬が混雑するほど悪路なので、切り開きの工事をお願いする」旨が書かれています。

まずは丘陵の切り下げ工事が計画されました。上申後の同年12月から翌1月頃に作られた工事の見積もりでは、道路の幅は三間(約5.4m)、長さ18間(約32.4m)、切り下げの高さ5間(約9m)で、予算はおよそ278円(当時)で、請負者は芝居などの興行主だった沢町の帆苅嘉吉さんでした。

明治11年には小樽余市間の新道が塩谷側から順に開通していきました。この工事は、沿道住民が漁業の合間に労力を提供して行われ、小樽市塩谷から徐々に道路が開通し、同14年秋にはフゴッペ隧道(トンネル)が開通しました。このトンネル工事の際、測量する機械がなかったので、その頃の余市郡長だった北川さんが、細い縄の先に小石をくくり付けて投げ上げて、山の向かい側と連絡して位置を決めたという逸話がのこっています。今も岬に連なる丘陵は、余市側がとても急峻で、小樽側は少しだけなだらかなように見えます。最初は切り下げ工事で道路ができて、ほどなくして、トンネル工事が行われたようです。

このトンネル工事に寄付した地元の有力者たちに表彰状が出されました。

表彰状

余市郡浜中村平民 福原才七

明治十三年中忍路余市両郡境隧道開鑿並余市郡

船舶取扱所建築及敷地同郡畚部村道路中央之

巌石切崩費之内へ金六拾円五拾銭差出候ニ付

為其賞木杯壱個並麻六把下賜候事

明治十六年二月三日

札幌県

福原才七は、国指定文化財になった浜中町の福原漁場の親方です。この表彰は、忍路と余市の両郡の間のトンネルの開削工事と、「余市郡船舶取扱所」の建設と敷地提供、畚部村(栄町)の道路中央にあった岩山の切崩工事の費用である60円50銭を寄付した福原才七さんに、お礼として木杯1個と麻の布地6把が札幌県から与えられたものです。

フゴッペトンネルからフゴッペ川河口周辺は、明治以降、漁家の集落ができました。国道の海側にはヤマニ福井家の2階建ての大きな屋敷が建っていて、ニシンの定置網を経営していた同家は、漁期が終わって夏になると、フゴッペに水泳講習に来ていた札幌師範(現在の北海道教育大学札幌校)の学生5、60人の宿舎になっていたそうです。また、ニシンの肥料を乾燥させる干場も、漁が終わった後は陸上競技場として開放されるほど広く、畚部小学校(後の栄小学校)の運動会も行われていました。

フゴッペのトンネルは、車線ごとのトンネルになりました。余市へ帰る向きのトンネルからはシリパ岬が見えます。ふるさとの景色です。

フゴッペのトンネルとフゴッペ川周辺の様子(大正初期の漁場「栄町郷土史」)

図:フゴッペのトンネルとフゴッペ川周辺の様子(大正初期の漁場「栄町郷土史」)

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総合政策部 政策推進課 広報統計係
〒046-8546 北海道余市郡余市町朝日町26番地
電話:0135-21-2117(直通)FAX:0135-21-2144

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