余市でおこったこんな話「その254 北海道初の観光農園」
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昭和43年の新聞記事に「リンゴ園でパーティー大モテ、観光農園」の見出しが見えます。これは数年
前に町内で始まった観光農園の取組が、近隣の果樹農家さんから注目されてきたことを紹介したものでした。
国内における観光農園の始まりは明治20~30年代と古く、山梨県勝沼町(現在の甲州市)に開かれた宮光園といわれています。ここは宮崎光太郎さんが開いたワイン醸造場で、ブドウやワインの飲食や購入が可能な観光施設でした。
昭和2(1927)年、関東地方で小田急線が開通すると、川崎市内の沿線のナシ農家が観光客に農園を開放し、ナシをもぎ取れるサービスを始めたところ人気を博しました。
前述の記事にあるリンゴ園の経営者のお名前は宮本晋司さん。袋かけをしないリンゴ栽培を可能にする薬剤散布機、スピードスプレーヤー(SS)を日本で初めて導入した方です(こんな話 その26「余市のSS第1号」)。
宮本さんは留学先のアメリカでスプレーヤーを見て、導入を決心しましたが、留学先では別の光景も目撃しました。記事に戻ります。
「アメリカのリンゴ地帯では単に第一次産業としての栽培だけではなく観光客が自由に農場に入って好きなだけもぎとって食べていたり、木の下でパーティーを開いていることに目をつけ『ぜひ自分の農園でもやってみよう』と帰国後さっそくはじめたもの。」
観光農園のオープンは、昭和39年5月1日のことでした。当時の記事を見ると「観光客に農園を開放道内はじめて 余市であすから」とあります。
宮本さんの三愛農園は豊丘町にあって、水田、リンゴ、ブドウ、サクランボ等、およそ7haの広さでした。帰国直後は、宮本さんの取引先の銀行や会社に果樹園を解放していた時期があって、リンゴやサクランボを囲んで楽しんでいた人達の様子を見て、観光農園の開園を決断したのかもしれません。
心配だったのは少人数に開放するのと違って多くの人が来園した場合、果樹の芽が痛まないかということでした。そこで観光農園の先進地である山梨県の甲府周辺を視察して考えた末、果樹は眺めてもらうだけにして、詰め合わせを提供する会員制の方式に決めました。会員券1枚(500円)でお肉、ネギやセロリなどの野菜と季節の果物、卵を手渡しして園内にある60㎡ほどのビニールハウスで、セルフのバーベキューを楽しんでもらうようにしました。
観光農園の広さは3ha、南側が丘になっていて、沢町方面と海を見渡せる景色のよいロケーションでした。リンゴ、ブドウ、サクランボ、ウメが植えられていて、幅2mほどの小川が流れています。
オープン前から自家用車で下見にくる人もいて、余市町の観光協会も後押しすることとなったようです。オープン直後の記事には「成功するかどうかはすこし時間をかけなければわからないだろうが、観光地の俗化をきらう人たちから結構よろこばれているので、地元産業を生かした町の新しい観光名所になりそう」とあります。
写真 三愛農場が観光用として園内に設けたビニールハウス
(昭和39年4月30日の新聞記事)
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