余市でおこったこんな話「その258 昭和40年代のスケートとスキー」
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昭和40年代の半ば、栄町の青年3人が自分たちの水田にスケートリンクを作りました。
昭和44(1969)年2月25日の新聞「スケートリンクだよ! 余市の三青年せっせと奉仕」の見出しの記事は続きます(写真)。
この善意の青年は、栄町の栄園芸青年部の20代の3名(別の記事では4名)でした。いつもは黒川小の校庭に作られていたスケートリンクがこの年は整備されず、子どもたちが寂しがっているという話を聞いた3人は、2月19日から国道5号線沿い、栄町の自分たちの水田の雪を踏み固めた後、ドラム缶を使って自家用トラックで水を運び、ソリを使って散水しました。
寒気が続いて4日目には完成、黒川小に連絡すると、大勢の子どもたちが駆け付けて歓声をあげたと記事は伝えています。出来上がったリンクは幅が3m弱、直線で50m、一周約100mのコースがとれる大きさで、日曜日だった翌23日には大川小の子どもたちも来て、スケートを楽しんだそうです。
同じ年の3月14日、余市川の堤防で黒川小の2年生のスキー教室(授業)がありました。この頃の黒川小学校は今の道の駅近くにあって、学校近くの堤防の斜面は小学生低学年には格好のスロープだったようです。16日の記事には「各クラスごとに一時間の勉強を終わってから学校のすぐ裏の堤防へ出てきたが、総勢約百五十人。長いのや短いの、カンダハー(スキーブーツのかかとをケーブルで固定する器具)からつっかけまでがずらりと並んで、先生の注意を聞くのももどかしくすべり始めた」とあります。
記事から当日の空気が伝わります。
「風は少し冷たかったが、三月の太陽がまぶしい。たかだか五㍍ほどのスロープ?だが湿雪と急傾斜から平地へ続くテクニックがなかなかむずかしく、シリもちをついた先生をはやし立てたのはよいが自分たちもころがったり、みごとにすべる友だちに感心したり、約二時間、にぎやかなスキーぶりだった。」
記事に添えられた写真を見ると、堤防の背景にモイレ山が見えるので、スキー教室は現在の図書館から自由広場付近で行われたようです。
この頃のスキー板は、メタルスキー(アルミ合金の金属で木の板を挟む)やグラススキー(木の板にグラスファイバーを巻きつける)が主流で、ブーツはひもでフィットさせるものやバックル式がありました。カンダハーのビンディングは少数派だったようです。
翌45年2月には大川小のスキー授業の記事が見えます。シリパ山に向かったのは大川小4年生以上の約300人の子ども達。スキーとストックはトラックで運搬、児童と先生は富沢町のバスターミナルまでバス4台に乗り、山麓までは徒歩で移動でした。大川小のスキー授業はいつもグラウンドで行っているので、子どもたちは広いスキー場に大喜びで、最初は転んでばかりでしたが、授業の終わり頃には見違えるほど上達したと記事は伝えています。
お昼ご飯の様子も見えます。「昼休みには各クラスごとに先生を囲み、ゲレンデで楽しい昼食。雪の上でほおばるおにぎりの味は給食とは違ってまた格別」
写真 リンク開きをかね、初すべりに歓声を上げる子供たち(昭和44年2月25日の新聞記事)
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