余市でおこったこんな話「その259 下山道」
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明治33(1900)年、北海道一級町村制施行に伴い郡内11町村を合併して余市町が誕生しました。
余市郡の戸長だった西田菊馬さんは、町の範囲に大川町の一部と山道村の一部(現在の豊丘町)を加えたいと考えました。山道村はその頃、大江村に属していました。
こんな話「その229 山道と桐ケ谷峠」で紹介しましたが、豊丘町と仁木町旭台を結ぶ桐谷峠は、余市町から仁木町経由で岩内町へ向かう道行きの古くからの要所でした。この桐谷峠を含む山道村は、明治35年に大江村大字山道村となり、大字山道村は字砥の川、字然別、字上山道、字下山道で構成されていました。
大江村(現在の仁木町)は、明治17年、仁木外二村戸長役場の行政下で発展してきました。その後、明治35年になって仁木村、大江村、山道村が合併して、二級町村制の大江村となった時にその名称が決まりました。大江地区に入植した長州藩毛利家の先祖にあたる大江広元にちなんだものでした。
明治40年、下山道地区出身の宮本村議が、地域からの分離要望の声を村会(議会)へ届けました。大江村の大野村長(当時)や関係者は、下山道地区を含めたかたちで一級町村になることを希望していたので、分離の要望には大いに困りました。明治42年5月、下山道村の宮本さん他91名が連署して北海道庁長官あてに「町村分合之申請」という要望書を提出します。
内容は沢町に隣接した下山道地区の規模は戸数91戸、人口529人であること。大字山道村は上山道、中山道、下山道に分かれているが、このうち下山道地区は沢町方面へ向かおうとすると平坦で人馬の通行が楽なこと、逆に大江村に向おうとすると距離的には近いものの、「草分道路」で、山越えの道が厳しいこと。積雪の時期も含めて、1年の2/3の期間は用をなさないことを訴えています。
また、誰かが亡くなった時、死亡診断書は余市の医者から、埋葬許可証や死亡届は大江村の役場からとらねばならない不便さや、地域の子どもの通学先や郵便など生活の様々な面で困っていることを伝えています。明治末から大正にかけて、何人かの大江村長さんが代々かわりましたが、この問題はそのまま引き継がれていきました。
大正12(1923)年10月の村議会に「下山道部落境界変更」についての議題が提出され、下山道地区の余市町への編入を認めるならば、余市町の赤井川道路付近を大江村に編入することを同時に実現することが答申(調査・審議の結果の報告・回答)されました。翌13年3月には、これを伝え聞いた下山道地区の代表が、答申内容の緩和(変更)を要望します。
同年3月15日に始まった議会には、下山道地区の住民が大勢詰めかけ、議場の空気は緊張したそうです。
編入についての議論は休憩をはさみながら続き、その結果、村会としては村区域の縮小と戸数の減につながることは大変遺憾とするものの、大正14年4月1日からの編入が満場一致で決まりました。
大江村長から余市町長への引継書が同日付で作成されました。地区の戸数は98戸、人口519人、引き継がれた土地や建物は下山道小学校、墓地、火葬場などで、書類は戸籍や印鑑に関するもの、牛籍や馬籍(牛馬の血統や個体情報)、種痘(天然痘のワクチン接種)に関する書類などもありました。
写真 町村分合ニ関スル書類
(明治42年(『郷土史』)
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