余市でおこったこんな話「その260  余市町東部の道路」

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国道5号線は、函館と札幌を結ぶ本格的な長距離馬車道として建設された札幌本道がその始まりでした。

明治6(1873)年の完成当初は、陸路で函館から森まで、森からは航路で室蘭まで、室蘭から札幌までは現在の国道36号線のルートをたどりました。明治40年になって現在の国道5号のルートになり(名称は國道42号、その後、國道4号)、戦後の昭和27(1952)年に國道4号のうち北海道内の区間が一級国道5号となりました。「小樽街道」と呼ばれた時期もありました。

このうち、余市町内の海岸線の部分は畚部村(ふごっぺむら:現在の栄町とその西方)から大川村大浜中までの道路が明治13年に開通し、沢町から岩内郡境までの道路が修繕され、77ヶ所に新たに橋が架けられたのが明治13年という記録があります(『奥寺家文書』)。

北海道開拓使が新たな開墾のために余市郡周辺の地形調査を行って明治10年代に作成されたと思われる図面を見ると、余市川河口から栄町までの海岸沿い、現在の国道5号線と同じ線形で朱色の線で道路が描かれています。

この海岸線の道路ができた頃、現在の大川町から小樽街道付近を開墾した者は、その土地が払い下げられるという立札が立てられました。

大浜中地区の開墾はすぐに進まなかったようで、明治30年代、現在の登川河口あたりに小売商1戸、農家7、8戸、海岸に製塩所があるという記録が見えます(『後志国殖民状況報文』)。開墾が本格的に進むのは明治40年代以降だったようです。

古い地番を見ると大浜中地区の道路付近は「馬車道通り」と呼ばれ、大川小学校のあたりまで続いていました。小樽街道は車馬通行用の道路でしたからその名前は当たり前ですが、大正時代、今の登川河口付近に地元の牛馬商組合によって馬匹遊牧場(競馬場と呼ばれていた)が作られたので、それも理由のひとつなのかも知れません。

昭和のはじめの「馬車道通り」は冬の間、積雪で道路が閉ざされるので、馬ばそり橇は砂浜の雪が浅くて凍っているところを通行していたそうです。

昭和のはじめの道路事情について、大浜中地区方の詳しい回顧談がのこっています(「川田正己手記」『大浜中の百年』)。

「昭和六、七年頃の国道五号線の道路事情は極度に悪く、路面にバラス(砂利)は敷いていたが、降雨後等は二輪車が、うめりこんで苦労しているのをたまたま見受けた。冬季間は吹雪のため数十日間も交通が途絶するということも珍しくなかった。輸送は馬橇で、雪道の交差には人馬ともに苦労しているのを常に見受けた。…中略…夏期の運搬用具は二輪馬車、荷車、リヤカー。

余市のマル通(日本通運)でトラックを使用し始めたのは昭和九年頃と記憶している。…中略…道路事情が悪かったため、大浜中の人々は鉄道規則を守らず、鉄道線路を歩いた。…たまたま保線の国鉄職員と出会うと注意する程度で、まことに寛大であった」

大浜中地区では昭和36年に舗装工事がはじまり、砂利道がなくなり、橋も広いものになりました。国道5号の舗装はその後も昭和50年代まで段階的に続きました。

sono260

大浜中地区の範囲 太線『大浜中の百年』

この記事に関するお問い合わせ先

総合政策部 政策推進課 広報統計係
〒046-8546 北海道余市郡余市町朝日町26番地
電話:0135-21-2117(直通)FAX:0135-21-2144

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