余市でおこったこんな話「その262 ビニールハウス」
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ビニールハウス栽培は、温湿度を管理することで天候や病害虫のリスクを減らし、出荷時期を早めることが出来ます。古くは障子紙や、紙に油を塗った油紙を使って日光を取り入れる促成栽培があり、明治になってガラス窓で囲われた温室技術が取り入れられました。
戦後はポリ塩化ビニールが登場し、ビニールハウスの素材の主流となりましたが、後にはプラスチック素材のひとつ、ポリオレフィンも登場しました。
全道的には昭和40年代から広がったといわれています。初期のころの骨組みは竹で、その後、金属製のパイプになって、メッキが施されて錆びづらいものになりました。
余市町でビニールハウスが導入されるきっかけは昭和29(1954)年9月の台風15号と同31年の大冷害による被害で、台風では栄町地区のリンゴの木のおよそ8割が倒れてしまいました。
『栄町郷土史』を見ると、この事態を打開すべく野菜栽培の研究を深めようと、寺島柳助さん、越智又一さん、越智磯次郎さんを中心に有志が集まって昭和32年に栄町理農研究会を、さらに2年後の同34年には藤明正さん、横山保さんが中心となった栄町園芸研究会が設立されます。
前者は越智一男さんによって、連作のきかないスイカを接木栽培によって可能とする技術を導入、後者は本州方面の野菜先進地の視察を続け、トンネル栽培やビニールハウスの技術を吸収し、同37年にはスイカ、トマトの共同出荷を始めました。
藤明正さんの当時の回想があります。
「秋だけの収入に頼っている農業経営では、これからの農業は自滅する。気候に左右されないで栽培できるものはないか」と考え、まず、旭川や三笠など露地栽培とトンネル栽培(畝に防寒用シートをトンネル状にかけて栽培する方法)の先進地を視察しました。
トンネル栽培は冷気や雪を遮り、野菜の発芽や生育に必要な温度を保つことができましたが、藤さんが考えていたのはビニールハウスだったので、更に静岡県、神奈川県、千葉県の先進地を視察し、昭和30年にスイカの接ぎ木を管理するためのビニールハウス(育苗ハウス)を完成させました。
その後、苗を早く育てるための耐雪型のビニールハウスが導入された昭和35年から「本格的なハウス温床の時代」となり(前掲同書)、同じ頃、電熱線で地温をあげる電熱温床も取り入れました。
同37年には鉄骨製で円弧型天井が複数連なるハウスが静岡県から導入され、栽培型ハウスが並ぶようになります。
この間、稲作から野菜栽培へと移行する人もいて、スイカ、アジウリ、プリンスメロン、トマト、ピーマン、ナス、キュウリなどたくさんの野菜が栽培されました。
ビニールハウスによる栽培は順調に拡大し、昭和50年代末には1,800棟を数え、同一集落の棟数や面積で全道一の規模となりました。
昭和39年7月29日の新聞記事には「夏の味覚出回る」と題し、「栄スイカ」が室蘭の市場に到着、地場産スイカの初せりが行われたことが紹介されています。同月27日の入荷量は5千Kg、キロ当たり40~50円(当時)で取引され、本州産よりも新鮮でしかも安価なスイカがふんだんに出回りそうと記事は結んでいます(令和7年8月の札幌市場では長野産スイカが405円/Kg)。
▲ 写真 栄町のビニールハウス(『栄町郷土史』)
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