余市でおこったこんな話「その266  余市中学校」

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余市紅志高校は戦前、北海道庁立余市中学校という名前の旧制中学校でした(昭和22(1947)年11月から同23年3月までは北海道立)。

旧制中学校は高等小学校を修了した12歳以上の男子に入学資格が与えられていました(修業年限は5年)。

開校前の大正10年頃、ひとつの支庁(現在の総合振興局または振興局の範囲)にはひとつの中学校という道の基本方針があり、後志支庁管内では倶知安町に設立が決まっていましたが、余市町と岩内町でも中学校を建てるべきという声が大きくなっていました。

余市町では町民大会が開かれ、設置期成会を組織して町を挙げて中学校を誘致することが決まり、北海道の議会への働きかけが始まりました。その結果、開校は大正13年度と決まりましたが、それまでに土地の購入代と建物の建設費の12万円(当時)を北海道庁に寄付しなければなりませんでした。

期成会の人たちが寄付のお願いのために町内を回ったところ、漁業関係者の多い山碓町(現在の港町周辺)だけで7万円が集まりました。これは水産業を生業とした人たちの多くが、地域の子どもたちのことを考えてのことでした。

余市町を地盤にした北海道の議会議員だった笠島貞治さんは、後にこのことを「欣きんかいしごく快至極」(喜ばしい気持ちが極まること)と述べています。

校舎をどこに建てるのかは意見が分かれました。余市駅の東側、道道登余市停車場線(登街道)の八幡神社近くが候補地に挙がりましたが、当時は余市町の市街地の中心が沢町であること、鎮守の神様が祀られている余市神社があることなどから沢町方面が有力視されました。沢町方面と大川方面の中間、ヌッチ川の右岸高台のモイレ台という折衷案もでましたが、結局、猪俣安造さんのリンゴ園だった土地が無償で寄付されて現在の紅志高校の場所に決まりました。

余市中学校の第一回目の入学式は大正13(1924)年4月29日、沢町小学校で行われました。入学した生徒は2学級で107人、教師は10人でしたが校舎はまだなく、5月1日から沢町小の2階の教室をふたつ借りての授業が始まりました。

当時の生徒の回想です。「沢校(沢町小)で間借生活をしたことが忘れられません。向かって右側の二階の裁縫室を借り…中略…小学校の鐘に合わせて授業し、屋内運動場は使用できず専ら屋外でスポンジボール(軟式野球の前身か)をやったものです。」

校舎が完成し、引っ越ししたのはこの年の12月15日のことでした。雪の降る中、生徒達が机や椅子を運んだそうです。校舎は完成しましたが、それ以外は冬だったからか、手つかずのままでした。そのため多くの生徒がグランドや学校敷地内の植樹、池、プール、ヌッチ側の護岸、ジャンプ台を作る作業に関わりました。余中は地域の人達から「作業学校」と揶揄されました。写真は水泳大会の写真ですが、自分たちが作ったプールで泳いだ喜びはどれほどだったのでしょう。

第1回卒業生の回想です。

「(校舎は完成したが)グランド予定地は(リンゴ園の)畝跡もそのままなので、運動の邪魔となる樹木は大部分切り倒し、根株も苦労して掘り取った。…中略…(数学の加藤先生が陸上用のトラックを作るために自ら測量し、)生徒はそれに従って土方作業に精出した。町の人達は、鍬やスコップをかついで登校する生徒を、半ば同情し、半ばやじったらしかったが、それにひるむ者はいなかった。」

sono266

写真  昭和12年の体育会学年対抗リレー『北海道余市高等学校同窓会史』

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総合政策部 政策推進課 広報統計係
〒046-8546 北海道余市郡余市町朝日町26番地
電話:0135-21-2117(直通)FAX:0135-21-2144

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