余市町でおこったこんな話 その18「水泳界の彗星(その1)」

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昭和10(1935)年10月28日、「超特急」「人間魚雷」と呼ばれた水泳選手、根上博氏が故郷余市に凱旋しました。当時の新聞には「十萬石の鰊が“茂入”の海を埋めた時でもこうは感激し、狂喜し、昂奮はせぬほど」の熱狂ぶりが伝えられています。
大正時代から昭和10年代は、国内の近代スポーツが学生から一般へと急速な拡がりを見せた時期で、陸上競技や水上競技がさかんになり、特に日本水泳陣の水準は高く、昭和7年のロサンゼルスオリンピックから同11年のベルリンオリンピックまで世界の頂点にありました。
根上博氏は大正元年生まれ、旧制余市中学校(現余市高校)を経て立教大学に入学、水泳部主将となり、長距離自由形でいくつかの世界記録を打ち立てる活躍を見せました。
根上選手は多くの選手が中学校時代から全国的な活躍をする中で、中学校時代に全道優勝の経験があったものの遅咲きと言える異例の存在でした。
『余高五十年』の氏本人の「特別寄稿」によれば、昭和9年の全日本学生選手権800m自由形(世界新)と1,500m自由形の優勝は、大学入学後「5年目にしてやっとつかんだ」栄冠でしたが、以降めきめきと頭角を現して一躍日本長距離陣のエースになりました。
そしてベルリンオリンピックを翌年に控えた昭和10年、ライバル国アメリカとの一騎打ちとなった第2回日米対抗水上競技大会が開催されました。
その選手選考会で、根上選手は400m自由形と1,500m自由形の2種目に優勝、400mでは日本新記録を樹立して出場権を獲得し、立教大学から出場した2名のうちの一人となりました。
大会は8月5日から3日間の日程で神宮プール(神宮外苑)において開催されました。根上選手は400m自由形と800m自由形の個人戦で活躍し、アメリカ代表メディカ選手とほぼ互角の戦いを繰り広げました。
400mではメディカ1位、2位に同タイムで根上選手、800mでは根上1位、2位に同タイムでメディカ選手となり、根上VSメディカの戦いは後世まで名勝負として語り継がれたそうです。また1,500m自由形でも日本が圧勝し、同選手はここでも3位となりました。
大会の最後、800m自由形リレーが始まる時点で優勝種目の数は日米ともに4つ、獲得点数は日本22点、アメリカ20点で、800mリレーが大会の総合優勝国を決する一戦となり、1万5千人の超満員の会場は興奮のるつぼとなりました。

写真:根元 博 選手

写真:根元 博 選手

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