余市町でおこったこんな話 その60「伝染病から町民救う」

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「その39」で紹介した昭和37(1962)年8月の台風9号がもたらした水害は、町民の多くの記憶に残るものでした。この台風は全町の6割におよぶ面積を水浸しにし、死者1名、床上浸水1,750戸、大川橋、鮎見橋など町内10か所の橋を流し、合計11億5千万円(当時)もの損害を与えました。
その大水害の余韻が残る同年8月23日の『毎日新聞』に、「伝染病から町民救う」「断水はわずか一昼夜」「水害にもぬれずにすんだ揚水ポンプ」の見出しでひとつの記事が掲載されました。水道施設を命がけで守った水道課職員が町民から称賛を受けていることが記者の目にとまったものでした。記事に掲載された写真には、山田町のポンプ場施設の1階窓の上、屋根のすぐ下の壁に大きな穴が開いているのが見えます。記事によると、8月2日夜から余市川上流の水源地が増水を始め、100平方メートルほどの広さのポンプ場も浸水してきました。
床上浸水に備えて当時の水道課職員11名は胸まで水につかりながら、施設入口前に土のうを積みました。眼前に自分たちの住宅が水没しつつあるのを見ながらの作業でした。
降り続く雨にますます水位は上昇し、ついに4メートルを超え完全に施設は水没します。その直前、職員らは「モーターだけは濡らすな」と15馬力のモーター2基を屋根裏から外に運び出し、応援にかけつけた船に乗せて付近の山の中腹まで移動させることに成功しました。掲載写真の施設の壁に開いた穴は、ポンプを運び出すために開けられた穴だったのです。
モーターを運び出して間もなくどっとポンプ室に水が入ってきました。最後までそこに残っていた職員3人が行方不明になったとの情報が一時流れましたが、彼らは水没前になんとかそこを脱出、山づたいに避難して沢町経由で役場に戻ってきたのだそうです。
水没したポンプ所は町内3,000戸へ水を供給していましたが、このモーターの「救出」による断水はわずか1日だけで、その頃役場裏にあった配水池からの給水を再開させて事無きを得ました。
前年の集中豪雨の時には4人の赤痢患者が出ましたが、この台風9号の後には一人の患者も出ず、当時の保健所長は「水道施設の早期復旧が大きな原因だ。」と紙上で語りました。
台風の翌年には余市川流域の大江村、赤井川村と余市町を結ぶ水防無線局が設置され、倶知安町、京極町との水防無線局とも結んで水害に備える体制が整えられました。平成15(2003)年には2代目のポンプ場が完成しています。

写真:ポンプ所施設と壁の穴(写真の✖印)(「昭和37年8月23日の新聞記事から)

写真:ポンプ所施設と壁の穴(写真の✖印)(「昭和37年8月23日の新聞記事から)

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