余市町でおこったこんな話 その63「映画館」

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昭和のはじめころの娯楽にどんなものがあったかが『余市町郷土誌』にいくつか挙げられています。麻雀、撞玉(ビリヤード)、歌留多(木札で下の句どり)、羽根つきと凧揚げ、魚釣り、花見および観楓もありますが、一番は映画(活動写真)だったようで、「芝居及活動写真演芸」の項にもっとも紙幅がさかれています。
昭和6(1931)年時の記録として「大川町の余市座、黒川町の昭和座、澤町の恵比寿館の三箇所にて興行され~、料金も低廉にて大衆娯楽としての随一である。芝居は以前の如き盛況さは見られぬが、時たまの興行を愛好者は楽しんでゐる。」とあります。
明治から昭和にかけての余市町の映画や芝居の歴史や思い出話が「余市の芝居小屋・映画館」(『余市文芸』第34号)に詳しく紹介されています。
同書によると大川町のかつて桜小路と呼ばれた通りに余市座ができたのが明治40(1907)年(推定)、黒川町の昭和座(現在のパブスコットランド付近)が昭和3年ころ、沢町の恵比寿館(座)がもっとも古く、富沢町に初代恵比寿座が開業したのが明治13年とあるので、余市初の映画館は恵比寿座のようです。この初代恵比寿座は大火で消失して大正3(1914)年に沢町に再建されたので、『余市郷土誌』に見える恵比寿館は2代目のもののようです。この2代目も昭和7年の大火で焼失、現在の富沢町の福祉センター横に3代目恵比寿座が再々建されました。
映画館はもともと芝居小屋として作られた建物が多く、舞台と、そこから客席横に伸びる花道があって役者をより近くに感じることができました。芝居を上演しない時には映画の上映がありましたが、やがて映画の人気が芝居に替わって高まりました。
お客さんは入口で木戸銭(入場料)を払い、履物を預けて畳の上にすわりましたが、映画上映が専門となると、履物を脱がない現在と同じ鑑賞ができるようになりました。
昭和20~30年代の映画館は様々に利用されていました。たとえば昭和27年1月にはハンセン病対策の募金を集める事業の一環として余市町も後援した映画会が催され、映画の宣伝は広報に掲載されました(写真)。

この「母化粧」という作品は「天然色マンガ・ニュース」と同時上映で、会場は1月27日が沢町エビス座、同28日と29日が大川町映劇で、前売り券は60円でした。「母と名乗れず子と呼べず悲しき涙の二十年、待てど儚ない面影ながら晴れの化粧も涙で崩る切々と胸迫る母情…母映画の最高傑作」と謳い文句が見えます。
翌28年2月1日の日曜日にはNHK素人のど自慢コンクール大会の後志地区予選が、黒川町の銀映座で行われました。出場申し込みは1月25日まで、申し込み先は役場のど自慢係、種目は歌曲(歌謡曲以外の独唱)、俗曲(民謡)、歌謡曲で物まねは出場できず、予選の合格者は小樽地区予選の合格者と地区代表決定戦を行い、勝者は3月8日に札幌での全道大会に進みました。この銀映座はかつての昭和座が経営者の交代とともに名前が変わったものでした。
テレビが各家庭に広く普及するまで、映画は「大衆娯楽としての随一」で、映画館は多くの人で賑わっていました。

写真:広報に掲載された映画の宣伝(昭和27年1月15日号)

写真:広報に掲載された映画の宣伝(昭和27年1月15日号)

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