余市町でおこったこんな話 その96「余市防備隊」

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余市防備隊

余市港のすぐ隣にある海上自衛隊余市防備隊は、昭和46(1971)年に開隊されました。
海上自衛隊の基地を北海道の日本海沿岸に作ろうという動きは、冷戦時代、ソ連(当時)の脅威に備えるためでした。余市町以外にも候補地があったようですが誘致運動の末、余市町に決まりました。
当時の『広報よいち』(昭和45年10月号)には「10年の宿願実り海上自衛隊余市防備隊誘致決まる」の見出しが見えます。同じ頃、町内では住友鉱山や水産試験場の縮小による人口減少が町に暗い影を落としていて、基地の誘致はそうした情勢を挽回できる好機と期待されたようです。
やがて、地元に誘致促進期成会準備委員会がつくられ、昭和37年10月の町議会で「基地誘致決議」がなされるまでになります。
しかし、誘致運動が実を結ぶまでには時間がかかりました。広報によれば、漁港の北側の外防波堤内部の漁業権の補償、魚雷艇の避難問題、広範囲の海面が演習範囲となることへの抵抗感など、いくつかの問題がありました。
それから8年後の昭和45年5月29日、「抜き打ち“発射”魚雷艇基地」の見出しが新聞に見えます。町側がそれまで、「具体的な連絡はない」としてきたものの、当時の札幌防衛施設局長が「町当局には連絡している」と発言したことが、大きなニュースとなりました。掲載されているシリパ海岸の写真には「…漁民のショックは大きい」のキャプションが添えられています。
海野町長(当時)は同日付の別の記事に「(基地建設は)漁民の生活権が守れて町の発展につながる方法をとり、けして町民のマイナスになることはしない」とコメントしています。
同年6月5日の夕刊から4回連続で「魚雷と原発 波高い積丹半島」の特集記事が組まれました。地元住民に伝わっていなかった工事開始の連絡や、補償交渉のないままにあたかも建設が決まったかのような新聞報道に怒った地元住民、対応に追われる町、防衛庁の3者の発言と一連の経過が整理されています。
ほどなくして、同年8月14日には、地元漁協と札幌防衛施設局との間に「ただちに着工してもよい」旨の覚書が交わされました。これにより工事開始の実質的なゴーサインが出ます。工事は順調に進み、翌46年7月15日に開隊式が行われました。翌日の新聞には「(町民の)歓迎ムードあふれる」の見出しが見えます。開隊当初に配備された魚雷艇は2隻、全長32メートル、幅8.5メートル、速度40ノット(時速約74キロメートル)の速さで、海難事故があった場合には、救助に加わってくれることになっていました。
現在は、ミサイル艇の「わかたか」と「くまたか」が配備され、沿岸地域の安全確保、小樽港に入港する艦艇の支援、自衛隊の他部隊への支援、港湾調査、爆発物処理の事務、災害派遣への協力が主な任務となっています。

写真:配備された最新鋭魚雷艇(昭和46年6月19日の新聞より)

写真:配備された最新鋭魚雷艇(昭和46年6月19日の新聞より)

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