余市町でおこったこんな話 その105「登川と『宝物』」

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登川と「宝物」

現在の登川は、大川町20丁目と栄町の境界で海に注いでいますが、かつては南二線でほぼ直角に曲がった後、国道とほぼ並行に西に流れて、余市川と合流していました。このため春の雪どけ時期や台風などで水害が起きると、農地や住宅は大きな被害を受けました。昭和25(1950)年には6月の大雨で発生した洪水で甚大な被害が出たため、地元の人達が「登川改修期成会」を結成して町役場へ陳情しました。
坂本角太郎町長(当時)は期成会の陳情を受けて、大川の砂浜に排水路を設け、曲がっている登川を真っ直ぐに海につなげるべく関係機関へ働きかけました。小樽土木現業所も様々な調査を行って、昭和26年から同29年までの足かけ4年にわたる工事が開始されました。総工事費が1億円を超える大工事でしたが、河口の切替えと上流の改修が終わり、周辺の人たちは洪水の心配から解放されました。
現在の史跡大谷地貝塚周辺は、水の引かない沼が点在し、ヨシやガマが生い茂っていましたが、この工事によって発生した土砂が運ばれて広いブドウ畑に代わりました。
新しく3つの橋も出来ました。国道5号線の大浜中橋は昭和28年3月に完成した橋で、完成当初は幅が約7.5メートルでした。鉄道の走る橋は登川鉄橋と命名された文字通りの鉄製の橋で、南二線の旭橋は木製の橋で、幅は4メートルほどと狭いものでした(『大浜中区会記念誌』)。
昭和26年の工事初年度のこと、「大浜中の現場から宝物が出た」と大騒ぎになりました。このお話は『埋もれていた余市の宝物』に詳しく書かれています。「いよいよ工事が始まって、土を50センチメートル、1メートルと、どんどん掘っていきます。ところが工事の途中、地下1メートルから1.5メートル位の深さの所で突然、昔の「兜」らしいもの、鎧、錆びた刀、鍋や釜、鉄びん、茶わんなどがぞくぞくと出てきました。」
同書にある事件を伝える『北海道新聞』後志版には「難破船の遺留品?」「刀や古銭がぞくぞく 余市の大浜中で発掘」と大きな見出しが躍り、記事も詳細を伝えています。それによると、海岸から150メートルほど内陸が「遺留品」の発見現場で、砂の中からは刀1振、鎧の一部、鍋釜数個、食器、古銭が出土したとあります。
新聞の掲載写真では、笑みを浮かべた作業員さんたちの前には大小の鍋、お皿などが並んでいます。その大騒ぎの中、「宝物」は何者かに持ち去られたり、作業員さんと物々交換をして手に入れようとした人もあったそうです。
その後、教育委員会からの声かけで持ち帰られた「宝物」が戻りました。新聞に掲載された写真のうち、大きな鉄製の鍋は13世紀頃に北陸から持ち込まれたものであることが、後にわかりました。内側に鍋をぶら下げるつりひもを通す耳がついていて、道内では発見例が少ないものでした。

写真:切替え工事後の登川(『埋もれていた余市の宝物』より)

写真:切替え工事後の登川(『埋もれていた余市の宝物』より)

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