その120 リンゴの袋かけ

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昭和38(1963)年6月10日、『広報よいち』の臨時号が発行されました。表紙に「名産余市りんご 今年も袋掛け勞務者を募集します」と大きな題字が見えます(写真)。
袋かけ(有袋栽培)は果実に袋をかけるリンゴの栽培方法のひとつで、シンクイムシ(心食い虫)という病害虫の被害が拡大したことがきっかけでした。岩手県で明治24(1891)年、中川良八さんが和紙を使って袋かけをした例が古いようです(『青森県りんご百年史』)。シンクイムシはその名前の通り、成熟したリンゴの内部を食べてしまうもので、大正時代の余市では秋になると、ヌッチ川や梅川の河口がシンクイムシの被害にあったリンゴで埋まったと言われました(『りんごさむらい』)。余市町で袋かけが始まったのは、同書によると明治38年頃でした。その頃の袋は「針金でしばるロール紙の角袋」で、一日に多くても一人1,500枚くらいの袋かけで精いっぱいでした。
より効率的に袋かけをするために、豊丘町の笹井安太郎さんがご自身のナシ作りの経験をいかした三角袋を考案しました。前述の「角袋」のかたちは不明ですが、三角袋は上辺がせまい台形に似たかたちのもので、新聞紙を切って作りました。笹井さんが考案した三角袋は山田町の高山吉五郎さんによって更に改良されて広く利用されました。
『余市農業発達史』に高山農園に見習いに入った方の回想が見えます。「袋掛けは“出面”それもほとんど女の仕事、ふつう一日に掛ける袋の数が二千、ベテランで三千くらいというところ。賃金はその熟練度によって十五銭から三〇銭。巡査や先生の奥さん連中のアルバイトが多かった。」とあります。「角袋」から三角袋に改良されたことで作業効率が倍になったようです。
町内にお住いの方いわく、「自分が沢町小6年のとき、修学旅行代を稼ぐのに袋かけを一日8千枚やった。修学旅行代は2~3,000円位だったと思う。その頃、小中高は袋かけのために学校が休みになった。」と聞きました。昭和20年代の末頃のことだそうです。
前述の広報の臨時号が発行された背景には、天候に恵まれて豊作が期待できる年だったのに袋かけの担い手の確保が出来なかったことがあったようです。「本年は、特に地方から来る勞務者が少なく、りんご栽培農家は非常に悩んでおります。このような実情でありますので、町の重要産業であるりんご栽培に一層の御協力をお願いします。また家庭の主婦の方々は勿論、一般(勤務者)の方々にも、土曜、日曜の休日を利用しての協力をお願いして…(後略)」とあります。
その広報にはより多くの人を雇えるよう、詳しい雇用内容が見えます。作業期間は6月15日から7月10日まで、賃金は(1) 普通出面(朝7時から午後6時まで)一日五百円以上、(2)束掛労務一束(袋百枚)二十円、(3)時間割労務は、一日五百円以上を基準として時間数で支給するとあります。休息時間も午前9時から30分間、午後3時に同じく30分間、昼食時間は1時間で合計2時間の休息時間が確保されていることを伝えています。
同年6月18日、『広報よいち』臨時号がふたたび発行されました。そこには「自衛隊袋掛援農を快諾、トラック30台に分乗来町し直ちに各農家分宿4日間援農に初出動!!」の文字が躍っています。記事には自衛隊の東千歳駐屯地第十一連隊から240名の隊員が袋かけの応援に来たことを伝えています。

写真:『広報よいち』臨時号(昭和38年6月10日)の袋かけ募集記事

写真:『広報よいち』臨時号(昭和38年6月10日)の袋かけ募集記事

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