その130 コムクドリ

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余市町の農作物への病虫害の記録は、古くは明治時代から見られ、明治13(1880)、14年頃のトノサマバッタ、明治末の夜盗虫(ヨトウガの幼虫) 、大正13(1924)年のセジロウンカの大発生がありました。
時代は下って昭和43(1968)年4月、コムクドリによる果樹への被害が新聞記事になりました。この前々年から被害が連続して見られ、この年に予想される被害に対応しようとした余市町、仁木町、小樽市による対策協議会が設立されました。
コムクドリは、スズメ目ムクドリ科の全長20センチメートル弱の鳥で、笹薮や木立に集団でねぐらを作り、雑食性で昆虫や木の実、モモ、ナシ、ブドウなどの果物を食べます。
前年の昭和42年、コムクドリが大量に飛来、果樹の被害が発生したので、農林大臣(当時)の許可を得た余市と仁木のハンター25人が駆除を行いました。7月28日の記事によると、コムクドリはサクランボを好んで食べるのでサクラドリとも呼ばれていること、6月ごろから果樹の被害が現れはじめましたが、保護鳥のために爆竹で追い払うことしか出来ずに生産者が困っていたことが見えます。
7月27日の早朝、余市川に銃の音が響き渡りました。午前5時頃から1時間半ほど、田川橋近くの堤防にハンターが待機して、山田町や美園町から飛来する群れを狙い撃ちしました。この日は60羽ほどを駆除、仁木町でも12人のハンターによって4か所で合計53羽を撃ちました。駆除数はわずかですが、大きな群れを分散させようとしたものでした。
8月19日の記事では「コムクドリいぜん猛威ふるう」の見出しが見えます。大群の襲来は止む気配がなく、色づいてきたブドウも食い荒らされ始めました。農家では「爆音機」や白い吹き流しをつけ、網やビニール布を張りめぐらせましたが、効果はあまりあがりませんでした。記事の最後に生産者の訴えが見えます。「コムクドリの寝ぐらである近郊の山を銃撃するなど、もっと強い措置を取ってほしい」
その後、後志支庁(当時)と両町の関係者が大群の後を追い、小樽市忍路の竜ヶ崎(小樽寄りの岬)近くの林に、推定10万羽以上の寝ぐらがあることを突き止めました。そこで、寝ぐらとしている林の周りに「捕鳥網」を張って、飛び立った群れを四方向から銃撃する作戦がたてられました。
同年9月2日早朝に、39人のハンターによる掃討作戦が始まりました。午前3時から高さ約2.5メートルの「捕鳥網」をめぐらして待機、5時15分、ものすごい音を立てて大群がいっせいに飛び立ちました。その様子はまるで黒いつむじ風が一度に起きたような勢いだったそうです。息を殺して身構えていたハンターらはこの大群目がけ、散弾の雨を浴びせました。銃の音はおよそ2分間続き、750羽が撃ち落とされました。群れが帰るのを狙った夕方の駆除も行われました。
結局、この年の果樹の被害は3市町でブドウ、プラム、サクランボ、リンゴの生産者1,200戸におよび、被害額は2,100万円(当時)にのぼりました。この年の駆除作戦は合計11回、散弾4,700発を使い12,300羽を駆除しました。

写真:「黒いつむじ風に暁の奇襲」の記事(昭和42年9月3日)

写真:「黒いつむじ風に暁の奇襲」の記事(昭和42年9月3日)

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