その131 鮎料理

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7月から余市川の鮎漁が解禁になります。余市川の鮎にまつわるお話は以前にも紹介しましたが、(余市町でおこったこんな話その6)お隣の仁木町でも明治34年頃には、その棲息が知られていました。『仁木町史』には、「仁木村に移住した人々は四国の人が多い。四国の吉野川といえば鮎の名産で名高い。鮎は高級な得難い魚であることを開拓者達はよく知っている。~中略~釣り好きな連中は一日中野良で働き疲れきった身体で、夜になると釣りに出かけた。そして人々は故郷の味を味わいふるさとを想い慰め合ったことであろう。」とあります。とれた鮎はカマスで運んで焼干しにし、出汁にして1年中使ったそうです。
漁法は「なぐり」(針にひっかけて釣る手法)で、夜間の漁でした。明治30年代に使われた釣針は、曲げた木綿針を3本まとめてイカリ型にし、1本の糸の3、4か所にそれを結びつけたもので捕獲していました(『余市漁業発達史』)。
漁獲量が増えると、農家の副業にもなり、本業にする者もあらわれました。大正時代になると、余市郡漁業組合(当時)による鮎漁はますますさかんになりました。釣り人もあわせて1日300人もの入漁者があったそうです。また大正4、5年には鮎専門の五十集商(いさばしゅう、仲買商)の三浦万蔵さんや玉屋さんが、小樽をはじめ各地に販売していました(『余市文芸』第2号)。
時代は下って、昭和32年6月の新聞記事に「アユの食べ方」と題して、鮎料理が紹介され、姿寿司がいちばんおいしいと勧めています。姿寿司とは、鮎の姿そのままを活かしたお寿司のことで、やみつきになった札幌市のお医者さんが、毎年7月1日の解禁日になると余市町にいらしたそうです。
記事にある料理方法はつぎのとおりです。鮎を腹から開いて大骨をのぞく。2時間塩漬けにした後、一昼夜ほど、砂糖味をきかせた酢につけおく。そこから小骨もとる。小さく砕いた海苔をよく混ぜたご飯を布巾で鮎の形におし固める。細くきざんだタマゴをのせて、ワサビをきかせて鮎をのせた寿司にする。
姿寿しの他には、万人受けするといわれる塩ふり焼きと、他にデンガク、ヌタもお勧めしています。
鮎飯も見えます。「炊き上がるチョッと前に生きた鮎を(ご飯に)突きさして十分に蒸し、あとで尾を引張ると骨がスルッときれいに抜けます。これをやって夢中になり、二日も三日も会社を休んでしまう人もありましたが・・・」
竹鶴政孝さんも鮎料理がお好きなようでした。余市川の右岸、鮎場近くに「あずまや」がありました。昭和40年代の夏のある日の午前、ニッカウヰスキーの社員が2、3人、ここへやって来て釣糸を垂れました。それを見た人はニッカに来客があったことを知ります。釣り上げた鮎は「あずまや」に運ばれて炭火で焼かれます。お昼近くになると竹鶴さんがお客様を連れてやってきて、焼きたての鮎をふるまっていらしたそうです。旬を大切にする竹鶴さんらしいエピソードが、鮎場にのこっています。

写真:「鮎料理を紹介する」記事(昭和32年6月14日)

写真:「鮎料理を紹介する」記事(昭和32年6月14日)

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