その133 りんご問屋

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余市リンゴの販路が広がったのは明治30年代で、これはリンゴの栽培面積が急拡大した時期と、余市駅の開業(明治35(1902)年)が重なった時期でした。駅が開業する前から主な消費地だった小樽までは船で運ばれ、その後札幌まで届けていましたが、余市駅開業後は鉄道を利用して、岩見沢や旭川の商人が買い付けにやってきました。買い付けにやってくる業者の注文に応じるかたちで、地元で買付けを代行する商人があらわれました(『りんごさむらい』)。
同書によると町内の最古参は黒川町の安井さん、その他にも平田さん、石岡さん、笹間さんが雑貨商とリンゴ小売店の兼業として、リンゴの買い子(買付けを代行する人)をしていました。他にはリンゴのロシア輸出に先駆的な活躍をした服部さんもいました(その123参照)。
小樽への貨車輸送は大正10(1921)年頃から始まりました。地元のリンゴ生産者達が中心となって、10トンの鉄道貨車2両を借りて、野菜(7~9月)とリンゴ(10~翌年の5月)を運びました。運びこまれた小樽の市場前は毎朝1千人もの人々で賑わったそうです(前掲書)。
余市駅から余市橋までの道路は現在「埋立新道」と呼ばれていますが、もともとは蛇行する余市川にアシが生い茂る沼沢地でした。
ここを埋め立てたのは猪股安造さん、但馬八十次さんらが立ち上げた余市興業社で、大正14年に埋立工事が終わりました。
ここにリンゴ問屋を構えた一人に山本繁太郎さんがいました。山本繁太郎さんは岩内、美唄、帯広方面まで野菜やリンゴの行商を行い、後に現在のニッカウヰスキー正門の向かい側に店を構えました。
「埋立地ができてまもなく大正13年ころ、ここに居を構えました。~中略~秋にはリンゴ買いをやりました。仁木村、山道村からリンゴの輸送は天秤(棒)で担いだものです。馬を使えばリンゴが痛むからですが、重さ40キログラム~60キログラムのかごをかついで四往復するのです。若い頃ですから早朝から日暮まで働いたもので、天秤を担いで歩くとふつうに歩くより早く歩けるのです。駅から樺太(サハリン)に送った。昭和2年頃から、小さなバラス(砂利)をひいたので馬で運ぶようになりました。大正13、14年頃手広く(リンゴなどの)小売りをやっていたのは、カネマタ服部、カネヒラ平田、ヤマジン安井など」でした(『余市農業発達史』)。
昭和6(1931)年頃、山本繁太郎商店の他にも余市駅周辺には問屋さんが集まっていて、水野さん、加藤さん、林さん、品田さん、野呂さん、神崎さん、高崎さん、大田さんなどがいました(余市町史編纂室の聞き取り調査による)。
問屋さんの中には、越冬保存用のリンゴを貯蔵庫へ搬入する仕事が終わった冬期間、3月末から4月まで、ニシン加工の兼業をする人もいました。
写真のラベルを見ると、山本繁太郎商店の所在地が北海道余市駅前であること、アルファベットで「KING OF TOMPKINS CAUNTY」の文字が見えます。これは緋の衣が命名される前のアメリカ国内での品種名です。

写真:山本繁太郎商店のラベル

写真:山本繁太郎商店のラベル

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