その143円山公園と西中

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沢町の円山公園(一部富沢町にまたがる)は明治時代から「郭公の丘」と呼ばれていました。『余市町郷土誌』によると、昭和のはじめには、「~山上より俯瞰すれば澤町、山碓(現在の港町)等の市街脚下に展開し、~中略~又園内には桜樹、楓樹茂り中腹に稲荷の小社ありて実に風光絶佳、殊に丘陵上は大グラウンドをなし種々運動競技の大会行はる。」とあります。
円山公園の南側の山は三角山と呼ばれ、頂上にある忠魂碑は町内でもっとも大きな石碑です。公園内には大正4(1915)年建立の「圓山公園の碑」もあり、碑文には円山公園開設の寄付を寄せられた人たちの名前が刻まれているので、この頃に円山公園ができたと思われます(『余市町の石碑』)。
昭和14(1939)年、円山公園のグラウンドで沢町尋常高等小学校の運動会が行われました。ニシン漁の季節が終わった6月はじめに盛大に行われた運動会は町中の人がみんな集まったかのような賑わいで、円山公園を目指した児童の家族の列が「坂道を切れることなく」登ってゆきました(『ひびけ』第19号)。これは沢町小の校庭が手狭で運動会が出来ない年が何年かあったからでした。同書によると、学校の校庭に集合した児童たちはブラスバンドの演奏にあわせて円山目指して出発しました。行進は海に向かい、西農協前を通過後、左折して公園の坂の下まで進みました。沿道には家族たちが自分の子を見ようと並び、お祭り以上の人出だったそうです。
その頃は戦争の色濃い時期で、子どもたちは兵士が背負う「背のう」に似せたものを背負い、木製の銃を持って行進しました。背のうや木の銃は家族が作ったものでした。
円山公園の海側中腹には朱塗りの小さな祠がありました。運動会の行われる6月3日頃に雨が降ることが多く、そうなったのは何代か前の沢町小の校長先生が白蛇を殺してしまったからで、その「たたり」を除くために祠が建てられたといううわさがささやかれたそうです。
西中学校の創立は同22年5月のことです。校舎はまだ完成しておらず、沢町小学校や余市中学校(現余市紅志高校)に教室を間借りしてのスタートでした。東側校舎の落成は同24年10月、次いで北側校舎が完成したのは3年後の同27年で、この年にやっと全校生徒が同じ校舎で学ぶことができるようになりました(『希望が丘』創立30周年記念誌)。
校舎は現在のふれあい交流施設のあたりにありましたが、校舎に向かう坂道の登り口から最初のカーブは今よりも急カーブで、道の長さも今よりも短く急坂でした。冬になると給食を運ぶ自動車が坂道を登られなくなるため、給食の入った容器や牛乳ケースを運ぶ当番が決められました。最後のカーブの手前には近道があってそこを登る生徒もいましたが、滑って転んで給食の汁物を台無しにしたこともあったそうです。また先生が運転する自動車が登れなくなると、登り口で生徒を後部座席に乗せて車重を重くして登りました。
バイクで通勤する先生は生徒に後ろを押させましたが、後輪が巻き上げる雪で服がビッチャビチャになったと懐かしく語る卒業生もいます。

写真:10周年記念運動会(昭和32年)『翔 西中開校50周年記念誌』

写真 10周年記念運動会(昭和32年)『翔 西中開校50周年記念誌』

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