余市町でおこったこんな話 その150「船玉様(ふなだまさま)と豆占い」

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船玉様(ふなだまさま)は船霊様とも書き、漁民や船乗りの間で広く信仰されている船を守る神様です。もともとは東北地方から伝わった信仰で、船を新しく造ると、船玉様のご神体を船体に納めました。古い記録ではご神体は女性の髪、男女一対の紙製の人形、銭、サイコロなどでした。
北海道の広い地域で船玉祭のお正月は、1月2日か同月11日に行われていて、ニシン漁が盛んだったころには一般的な行事でした。船は旗や松飾りで飾りつけられ、お膳に整えられた供物とお神酒を船の上にお供えし、家の中には船玉様の掛軸を掲げました。
昭和50年代末頃、大川町の漁家で行われていた船玉祭の記録がのこっています。そのお宅では毎年、山形県善寶寺から訪れるお坊さんからお札を購入していました。お札は桐の木で作られていて、長さ約30センチメートル、厚さ2センチメートル弱の大きさで、お寺の名前と「大漁満足」、「海上安全」の文字、船名と船主の名前が記入され、船の前方内側へ貼り付けられました。船玉祭の日、漁はお休みです。朝、自分の船と家の中に船名が入った旗を立て、1升瓶のお神酒、正月のお餅、お頭付きの魚をお供えします。大漁祈願と海上安全の祝詞を唱えるのは船頭さんが担当しました。神事が終わると、船玉様にお供えしたお神酒を皆で一杯づつ飲んでから宴会が始まりました。
1月の船玉祭が終わると2月の節分です。節分の日、神棚にはお神酒と大豆が供えられました。煎り上げた大豆は1升の枡に入れ、振ってがらがらと鳴らしてから神棚へお供えします。大半は豆まきに使われますが、囲炉裏の灰の上に並べ、この年のニシン漁の豊凶占いに使いました。自分が持っている定置網を置いた大豆に割り当てて、黒く焦げてしまった豆は不漁、白く灰になった豆は大漁とされました。熊石町や北桧山町では、豆の焼かれ具合で漁模様だけではなく、天気や1年間の吉凶まで占っていました(『日本海沿岸ニシン漁撈民俗資料調査報告書』)。
ニシン漁が盛んだったころ、豆のおかげで命びろいしたというお話を町内の方から聞いたことがあります。お話をうかがった方のお父さんの経験談です。お父さんは、節分でお供えした豆を巾着袋に入れ、肩から斜めにかけて肌身はなさず持ち歩いていたそうです。ある日の豊浜沖での作業中、突然海が時化(しけ)てきました。漁を中断して帰ろうと船首を陸に向けて皆で漕ぎだしましたが、いくら漕いでもまったく進まず、波はどんどん大きくなり転覆しそうになりました。お父さんは巾着袋に手を入れて豆をひとつかみ握ると、荒れ狂う大波に向けて投げつけました。すると波が一瞬静まり、船はすーっと浜に向けて前進、お父さんと仲間は無事生きて帰ることができたのだそうです。
波がしずまったのは偶然だったのか、神様が守ってくれたのかは定かではありませんが、大漁と海上での安全を願ったかつての年中行事や信仰は今よりも身近にあった時代のお話です。

モイレ神社で行われた船玉祭(ふなだままつり)(昭和60年)

写真 モイレ神社で行われた船玉祭(昭和60年)

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