余市町でおこったこんな話 その154「民家の調査と運上家」

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昭和45(1970)年、北海道内に古い民家がどれくらいのこっているかを専門家がくまなく調べる大規模な調査がありました。成果として刊行された報告書には道内の農家10軒、商家等13軒、漁家65軒が報告され、余市町内では運上家を含む3軒が掲載されていました(『建造物緊急保存調査報告書』)。
文化庁によって同37年から全国的な民家調査が始まり、北海道では北海道教育委員会が主体となって行われ、北海道大学工学部の越野武助教授はじめ、北海学園大、室蘭工大、道内の道立工業高校の先生など15名の調査員によって広範囲の民家が調査され、建物の重要性が明らかにされました。
「50年くらい前までは、多数の番屋が日本海岸に沿って建っていたから、地元のみならず、道内のある年齢層以上の人々にとっては、かなり身近な存在」だった古民家が、「急速に失われつつある。この状態が続いたら、10年といわず、5年で重要なものがなくなってしまう」と、報告書から昭和40年代当時の危機感がわかります。この調査によって運上家、江差町の中村家住宅、函館市の太刀川家住宅店舗、小平町の花田家番屋、伊達町(現在の伊達市)の三戸部家住宅の5件が重要文化財に指定されました。
今では一般に公開されている運上家ですが、修復工事前は老朽化がはなはだしく、雨漏りや強風、雪の重みで痛みが進み、投石で窓ガラスが割られるなど心ないいたずらもあって、工事の直前にはいつ倒れてもおかしくないありさまだったと伝わっています。同46年3月30日の新聞に「余市のモイレ運上家 文化財指定を申請 あす教育長が上京」の見出しとともに大きな記事が掲載されました。それによると前述の古民家調査によって、余市町の運上家が北海道で唯一のこったものであることが確定し、国の重要文化財指定が急がれました(古平町にものこっていましたが、大きく改築されていました)。記事には「現在の建物には六世帯の人が入居しており、土地、建物の買収費のほか、この人たちの補償の問題もあって、復元費も含めて二千五百万円は必要」とあります。
運上家は地元関係者の努力がついに実り、同46年12月28日に重要文化財に指定され、修理工事の計画が立てられましたが、オイルショックによる国内の経済悪化に遭遇したため工事はすぐに始まらず、5年後の同51年度から4年を費やして現在の姿になりました。
同54年の『ひびけ』には、工事の最終年度のころのことが記されています。「…復元工事は既に外装はおおかたできている。一本の柱、一枚の板の扱いが丹念に造作されていて、文化財というものの重みと共に全盛期の余市の漁場をとりしきった運上家の権勢がしのばれる。…中略…私の子どもの頃(昭和10年代)、モイレに海水浴にいったときは、この運上家の井戸でのどをうるおしたものである。冷たい、ひどくうまい水で、とうてい今の水道の水より知らない人には説明できないような水であったのを思い出す」
この井戸は修理工事の際に一緒に保存されましたが、湧水は少なくなってしまいました。

写真:修理工事前の運上屋(昭和40年代)

写真:修理工事前の運上屋(昭和40年代)

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総合政策部 政策推進課 広報統計係
〒046-8546 北海道余市郡余市町朝日町26番地
電話:0135-21-2117(直通)FAX:0135-21-2144

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