余市町でおこったこんな話「その168 松浦武四郎が見たヨイチ」

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今年は北海道命名150年の年です。北海道の名付け親、松浦武四郎は江戸時代に生まれた紀行家で、著述家、好古家と、様々な顔を持ち、「旅の巨人」とも称されました。
文化15(1818)年に三重県松坂市に生まれた武四郎は、生家が庄屋を営む恵まれた環境の中で文化的な素養を吸収します。生家の前の道は伊勢神宮や東海道へつながり、その道を埋め尽くすほどのお伊勢参りの旅人を目にして刺激を受け、自らも旅を志すようになったと言われています。
幕末に6度もの蝦夷地踏査を果たした武四郎は多くの著述をのこしていて、安政3(1856)年と翌4年の踏査行の際に余市地方の記録を記しています。行く先々で、土地のアイヌ民族を道中の案内役にしながら、断崖絶壁の海岸や樹木や草が生い茂る山々を進みました。
安政3年5月2日(新暦では6月3日)に積丹運上屋を出発した一行は、フルヒラ場所を通過して、ヨイチとフルヒラの境界の「チヤラセナイ」(ちゃらちゃら音をさせる・川)まで来ました。数十丈(1丈は約3メートル)の岩壁に滝があって、一行はその上を通ってヨイチに入りました。この滝は結構な水量があったのか、この付近で切った薪はその滝に落として運んでいることを聞いています。
古平町と余市町の境界は断崖絶壁が続いていますが、この海岸を上がり下がりして「大穴岩」にたどりつきました。ここは「ホンロウソクサキ」といいました。「ポン」がアイヌ語で「小さい」という意味で、江戸時代から小さいロウソク岩のある岬という名前で呼ばれていたようです。「ホンロウソクサキ」やロウソク岩の他に奇岩が多くあるので、ここは「シュマトマリ」(岩のある・泊地)と呼ばれていました(島泊港のある潮見町)。
一行はそこから先が急峻すぎて陸路を進むことが出来ず、船に乗って白岩町付近を過ぎます。途中も奇岩が多く、そのなかにある「ノジユシマス」という岩は、星が落ちて石になったと同行のアイヌから聞きます。また途中の狭い海岸はニシンがよく捕れるので、出稼ぎ漁民の小屋が多いと記しています。
更に進んで眺望が開けた高い場所に出ました。ここは雄冬、浜益、忍路、余市岳、岩内岳、シリヘシ(羊蹄山か)までが見渡せる場所とあるので、シリパ岬の背後の山々のどこかなのでしょうか。
シリパを降りてヌッチ川まで、漁家や「商人屋」(商店)が続きます。ヌッチ川は「巾せまくして遅流深」く、「桃花魚」(ウグイ)が多く、船の材料を再利用した使った橋がかかっていました。そこから更に歩を進めて海岸線を行き、モイレ山麓の運上家につきました。
武四郎はその場所で、「ヨイチ」はこの川にある沢の名前であること、ここは「モヱレ」(モイレ)であってヨイチではないと言を重ねています。「ヨイチ」とは余市川を上ったところにある沢から吹いてくる風のことであると言っています。
この旅の前、弘化3(1846)年に著した『蝦夷日誌巻之六』でも「(ヨイチを)イウヲチなり。イウとは温泉の事、ヲチはある。」として、「ヨイチ」は寅卯(東北東)の風をいうとあります。武四郎は一貫して「ヨイチ」は風の名前であるとしています。
『西蝦夷日誌』では、沢町から浜中町界隈に並ぶ宿屋や料理屋、商店のにぎやかな様子、三味線や太鼓の音が聞こえてくる様子に感嘆したのか次の歌をのこしています(浜千鳥には別の意味があったようです)。
『よいちの海 うみ幸ありや 浜千鳥 浜せばきまで 鳴(き)つどうなり』

図:武四郎の著述に見られる余市地方の地名の主なもの

図:武四郎の著述に見られる余市地方の地名の主なもの

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