余市町でおこったこんな話「その189 疫病」

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新型コロナウィルスが世界各国で猛威をふるっています。古い記録を見れば、余市町でもコレラや天然痘などの疫病が流行したことがあります。
コレラは明治12(1879)年に流行がありました。「奥寺家文書」によれば「明治十二年七月頃よりコレラ病流行して余市郡一帯に入船の人夫皆身体検査済にならざれば上陸を禁じ古平忍路岩内方面よりの旅行者も検査済にならざるものは一切余市に入る事を禁じ浜中は見張の所山碓はカクマルイチ中村家を検査場として村民かわりがわり毎日結め掛けり居」(原文仮名はカタカナ)とあります。
7月頃から流行したコレラを余市に持ち込ませないために、入港しようとする船や町外から来る旅行者は検査していなければ一切余市に入ることを禁じたとあります。検査場になったカクマルイチ中村家とは、港町にあった二代目町長の中村源兵衛さんのお宅のことのようです。
天然痘については「奥寺家文書」に、「明治十九年二月頃より天然痘大流行して老若男女及び漁夫共種痘厳重にして予防致したるも死亡者もかなりありました」とあります。
狂犬病は、「明治四十年十二月二十五日北海道中の犬皆没滅することにし各区町村警察署に通牒したり本年七、八月頃より狂犬病流行し若し其病犬に喰付らる時は三週間以内に発病狂犬同様に相成由で署員も非常に注意したるものでありました」とあります。道内の犬をすべて「没滅」する措置とはかなり極端な表現です。
インフルエンザでは、大正 7 (1918)年に、アメリカで発生したインフルエンザが、翌 8 年にかけてスペイン、フランス、イギリスなどヨーロッパに広がり、「スペイン風邪」と呼ばれて恐れられました。その後、中国や日本へ侵入して、感染地域がほぼ全世界となってかなりの被害がでました。推定感染者数は世界全体で約5億人とされ、これは当時の全人類の2割以上にもなりました。
国内の第3波は翌8年9月下旬から翌9年7月にかけて日本中に蔓延しました。この時のスペイン風邪による死者は2,300万人を数えました。日本では約2,000 万人が発症して約 38 万人が死亡したといわれています。このスペイン風邪について「奥寺家文書」では、「大正七年十一月一日流行性感冒のため日本全国中の学校皆休校したる由余市学校も皆五日間休校したり」とあります。国内の動きと同様に余市でも学校がお休みになりました。
昭和のはじめ頃の余市町では、チフスにかかる人が年間約30名前後、このうち亡くなるのは5~10名程でした。毎年春と秋には予防注射の機会がありましたが、希望者は少なかったようです。梅川町には余市町立隔離病舎(避病院とよばれていました)が設けられ、発病者が隔離されていました。
また毎年、5月と9月には清潔法とよばれた、住居や排水路など不潔な場所の清掃が行われていました。清掃を実施する主体的な組織があったようで、昭和7年ころの市街地での実施戸数は2,962戸、監視する係3人、人夫は延べ1,849人、塵芥搬出量約4.5トン、汚泥搬出量66トンという記録が残っています(『余市町郷土誌』)。
疫病の蔓延を抑えようとする人間の努力は今日も続いています。医療の発達により天然痘はほぼ制圧できましたが、交通機関の発達が人の移動を簡単にさせ、昔より今の方が危険性は高まっています。

写真:茂入山の水産博物館に展示される弁財船(昭和43年12月15日の新聞記事から)

図:インフルエンザなどのワクチンの広告(小樽新聞大正8年1月22日市立小樽図書館蔵)

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