余市町でおこったこんな話 その89「明治の病院」

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明治時代に入ると北海道開拓使は病院と医学校の設置を始めます。根室、厚岸、室蘭などでは早い時期に設立され、後には鉱工業の拠点となった北炭夕張、王子製紙、三井砂川などにも病院が出来ていきました(『北大百年史』)。日本海側では積丹半島沿岸や、石狩湾、桧山や江差地方、留萌中部に病院ができます。余市には明治5(1872)年に「札幌病院余市郡出張所」(後の公立余市病院)が浜中村モイレにできました(『余市郡医師会史』ほか)。
いよいよ始まった本格的な移民事業を円滑に進めるため、開拓使は入植する人たちの病気への不安をなくしようと、道内各地に多くの官立病院を設置します。しかし、経営が軌道に乗った病院は少なかったようで、官立病院設置を積極的に進めたものの採算があわない病院は徐々に廃止され、各郡によって設置される公立病院へと経営が切り替えられていきました。
札幌病院余市郡出張所に派遣された医師は、平井浪江さんと吉村栄衛さんの二人でした。平井さんの郷里は福島県の会津若松、お父さんも医師でした。『後志国状況報文』の衛生の項を見ると、余市市街地(沢町)には明治9年に「余市出張病院」がおかれ、院長ともうひとりの医師、それに「看護婦」がいました。同病院は明治34年には隔離病舎を新しく建てます。これは当時の人々が恐れていたコレラ、腸チフス、天然痘、赤痢といった伝染病がたびたび流行することに対応したものでした。
明治も半ばになると大川町にも人家が増えてきたので、病院設立の声が高まって余市病院の出張所ができました。明治32年には改称されて余市第二病院と呼ばれます。同36年には公立余市病院の経営状況が悪化し、その時の院長輿水栄雄さんが経営を引き継いで、私立余市病院として再出発しました。
明治42年刊行の『後志国要覧』を見ると、「余市病院」は余市町字梅川町にありました。余市港の近くで「広壮の美観」を誇るのは輿水氏を院長とする余市病院であること、氏は安政2(1855)年に山梨県の医師の家に生まれたとあります。同書中には、大川町に吉川病院も見えます。院長は明治10年に函館で生まれた吉川省三さん、同32年に「名古屋医学専門学校」を卒業し、翌34年に「余市公立第二病院」副院長となったとあります。後には吉川病院に改称し、日露戦争の際には軍医として戦地にもおもむきました。同じ時期には、「定方医院」(院長定方錦郎さん)、「十全医院」(大川町、院長清井正慰さん)もありました。
明治時代から昭和のはじめころまでの病気を見てみると、明治19年2月頃に町内で天然痘が大流行したようです。『奥寺徳太郎手記』によると「老若男女及び漁夫共、皆種痘厳重にして予防致しも、死亡者もかなりありました。」とあります。昭和のはじめの頃、注意しなければならない伝染病として「腸チブス、バラチブス、ジフテリヤ」が見えます(『余市町郷土誌』)。同書によると、それらの病気にかかる人は1年間でおよそ30名ほどで、その10名前後が亡くなっていました。

写真:余市病院(『後志國要覧』)

写真:余市病院(『後志國要覧』)

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