余市でおこったこんな話「その257 スケソ」
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あけましておめでとうございます。
昭和39(1964)年の年末から翌40年1月にかけての新聞を見ると、スケトウダラ(以下、スケソ)漁の好調を伝える報道が続いていました。
12月18日の記事の見出しは「スケソも好漁 明るい年末、余市沿岸漁民」でした。全道的には不漁だったイカ漁が余市沿岸で好漁だったため着業が遅れたスケソ漁でしたが、出足から漁模様は好調で、1か月で約8千万円(当時)の水揚げがありました。
鮮魚は小樽方面の加工業者へ送り、地元で加工したモミジコは、漁協の入札価格で10kg樽入りのものが品質によって9,200円から6,300円と、前年と比べて平均で500円ほど高値となり、「年末を迎え漁民は明るい表情」と記事は伝えています。
加工されるスケソは東北、関東方面へ向けて余市駅から送られていましたが、例年、輸送用の貨車が足りず、国鉄(当時)はやり繰りに苦労していました。
12月29日の新聞記事には「常時十台分が滞貨」とあります。貨車10台が発車できなかったという記事ですが、「二十八日から国鉄は年末輸送体制にはいり、旅客列車優先の臨時ダイヤが組まれるため、貨車積みはいっそう困難になりそう。昨年の場合、三十一日に積み込んだ貨車が一月七日まで駅構内に置かれっぱなし、という状態」で今年も同様の状態になることが危惧されていたようです。
これに余市や古平、積丹の漁が好調だったことに加え(余市で25日までの漁獲累計1,700t)、オホーツク沿岸が不漁で需要が更に高まっていたことが貨車不足に拍車をかけたようです。年末になってもスケソは獲れました。大晦日の記事「笑いとまらぬ好漁 価格も昨年の倍 四・五歳で四十センチもの」の見出しで、水産試験場による漁況の中間発表が詳しく載っています。
武蔵堆(むさしたい、日本海の礼文島西側にある水深が浅い好漁場)の北にある天狗の鼻と呼ばれている海域と、石狩湾沖から積丹沖にかけての海域のふたつの漁場で好漁が続いていること、はえ縄漁は好調、底引き網漁は不調などと記事は伝えています。
年が明けてもスケソの記事は続きました。昭和40年1月8日と1月12日は、スケソを乾燥させる「棒干し」の作業風景が伝えられています。
余市郡漁協が昭和37年12月に建設したすり身工場の操業の様子を伝える記事も見えます(1月19日)。
「余市郡漁協組は昨年度三千八百万円という創立以来の黒字を出したが、同組合が行っている多角経営のなかでもすり身工場の占める役割りはかなり大きいものがあり…中略…余市にはこの工場のほか興浜産業にもほぼ同じ規模のものがあって、年間両者で千六百トン、約二億円の生産をあげている」
さらにこの年には大阪が本社の鹿力食品が余市町に工場を構え、関西以北ではじめてという真空包装のかまぼこの製造を始めました。
漁協の兼平専務(当時)のコメントです。「余市で(すり身をかまぼこにする)三次加工することによって、二次加工品の価格安定で漁業関係者にはプラスになると思う」ニシン漁が活況だった頃には「猫またぎ」と言われていたスケソでしたが、昭和30年代末から同40年代初頭にかけては地域の産業を支えた魚でした。
写真 スケソの棒干し
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